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    と、練吉が引つたくるやうにとつてしまつた。

    読経どきやうはまだ始まらなかつた。

    盛子は房一からさういふことを聞かされていたので、往診に出掛ける時には彼女の方から念を押したほどだつた。房一は四時までには帰ると答へた。だが、もう五時過ぎだつた。そして、日が落ちてからの空気は、まるでわざと盛子の気を落ちつかせまいとするかのやうにどんどん暗くなり、冷えて行つた。

    と、小谷が云つた。

    老父の道平が卒倒した今はちやうど房一の忙しい時期だつた。と云ふのは、彼の患者の大部分を占めている農夫達は農閑期に入ると、それまでがまんをしていたために急に病気になつたり、ぶり返したりするのであつた。道平はここ三四日の間が危険期だつた。房一は殆どつき切りで、間には何度も家の方へ来る患者の診察にも帰らねばならなかつた。

    「それでは、又あらためて伺ひます」

    房一はきつぱり云つた。男は、これは話が判る、といふやうな顔をした。それに押つかぶせるやうに、

    笹の葉の下から現れたのは頭から尾まで黒々と廻り、全体に円味がつき、所々の鱗が金色に光つていた。

    「それで、――どうかね?」

    「さうかよ。おれは又、河原町を通るんだとばつかり思つた」

    これはすばらしい銅板画のモテイイフである。黙々とした茅屋ぼうおくの黒い影。銀色に浮かび出ている竹藪の闇。それだけ。わけもなく簡単な黒と白のイメイジである。しかしなんという言いあらわしがたい感情に包まれた風景か。その銅板画にはここに人が棲んでいる。戸を鎖し眠りに入っている。星空の下に、闇黒のなかに。彼らはなにも知らない。この星空も、この闇黒も。虚無から彼らを衛まもっているのは家である。その忍苦の表情を見よ。彼は虚無に対抗している。重圧する畏怖いふの下に、黙々と憐れな人間の意図を衛っている。

    と訊いた。

    「――?」

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